いつも同じような人、似たような場面で湧く感情。その根底にあるものはなんでしょうか。
私は普段は温厚で見た目もおとなしいです。
でも怒ると怖いらしいです。
昔、職場の先輩に冗談っぽく「羊の皮をかぶった狼だよね」言われたことがあります。
この人は、いろんな人と接しているから、なかなか人を見抜く力があるな(笑)
と思った記憶があります。
自分でも穏やかさと激しさを兼ね備えていると自覚していたからです。
今はいろいろ気づけたお陰でまるくなりました。
以前はあった
「激しい怒り、嫌悪感」
その行いが許せない、なぜかすごく腹が立つ、イライラがしばらく続く。
「たしかに嫌な出来事だね、でもそんなに怒らなくても」と、別の人からみたらそう思えるようなこと。
そう、現象は実はそんなに大したことがなかったりする。
でもなぜか、そこに怒りの感情が湧いてくる。
怒りの感情で、自分で自分を痛める。
そして、それは同じような人にだったり似たような場面。
今の「激しい怒り、嫌悪感」は、実は違う感情が根底にあって、そこから思考の偏りができているのかもしれません。
私がよく怒りが湧いていた場面の一つ
「なんで人の迷惑を考えないんだろう」
ちょうど、普段は仲の良い弟に対して、「怒り」の感情が湧いていたタイミングで、あるワークをする機会がありました。
出来事に対して、私が許せないと思っている部分は
「なんで人の迷惑を考えないんだろう」
私は人は
「人の迷惑を考える」べきだと思う
だから私は
「人が迷惑じゃないか考えるように」している
でも私は自分が
「人に迷惑をかけてはいけないということ」に偏り過ぎているから
「人の迷惑を考えてないと思えるような」反対の人に反応している。
私は自分の中にある
「人に迷惑をかけること」を許してないので、それを映し出している相手に感情が過剰反応する。
そのことに気づくことができたので、私は自分に
「人の迷惑(人のこと)を考え過ぎて自分の素直な気持ちを押しこめないで表現する」ことを許すことができる。
なるほどな...だからこんなに腹が立つのか...と腑に落ちたところで、「怒り」が本来あるべき大きさに変わり、静まりました。
そして、ふとイメージが私の心に浮かびました。
私の幼少期。
母が弟を出産した、私が1歳2ヶ月のときのこと。
父は実家を頼ろうとしましたが、初めてのことじゃないから自分でどうにかするよう言われた...という話は聞いていました。
きっと、その迷惑がられている場面を幼児の私も見て感じていたのだと思います。
昼はお手伝いを頼んでみてもらって、仕事から帰って父が面倒をみる。
母に任せきりで育児経験の少ない父に2人の幼児の面倒をみるのは大変だったと思います。
泣く私にも「泣くな」と怒鳴ったんだろうな...。
そこから「迷惑をかけると嫌がられる、怒られる」という思考が出来上がりました。
母からは乳離れができなかった弟とは違い、私の小さい頃は全然手のかからない子だったと言います。
小さいころの記憶がほとんどないのですが、小さいながらに頑張っていたんだなと思います。
ああ、なるほどな...だからか...。
と認めた上で
でも「今」にその感情は必要ないかな。自分で痛めることはないよ。
と自分で思えました。
それと共に、自分が「人に頼れない、お願いするのが苦手」な所もここからきてるんだなと理解できました。
理解できても、行動が変わるのには時間がかかりそうです。
少しずつ行動に繋げたいと思います。
陰陽五行で、「木」は怒り、「金」は深い悲しみ・罪悪感。
「金」が影響して「木」の感情が出てくると言われています。
いつも同じような人、似たような場面で湧く感情。
その根底にあるものに気づけると自分を痛める感情から解放されるのかもしれません。