心に届いた言葉①
前回の「インコの手紙」と同様に、父の死の時に私の心に届いた言葉があります。
コブクロの「蕾」
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涙 こぼしても 汗にまみれた笑顔の中じゃ
誰も気付いてはくれない
だから あなたの涙を僕は知らない
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散り際に もう一度
開く花びらは あなたのように
聴こえない 頑張れを
握った両手に 何度もくれた
消えそうに 咲きそうな
蕾が 今年も僕を待ってる
今もまだ 掴めない
あなたと描いた夢
立ち止まる 僕のそばで
優しく開く 笑顔のような
蕾を探してる 空に
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父が亡くなる年によく流れていた曲です。
この歌詞が、父のことを違う視点から考えるきっかけになりました。
父はずっと家族に見せなかっただけで辛い時も苦しい時も自分で乗り越えてきたんだろうなと思います。
精一杯虚勢を張って...。
父には学習障害がありました。
そのハンデの中、職場では馬鹿にされることもあったのではないかと思います。
弱々しい所を見せると負けてしまうので、喧嘩腰で威圧して強がってもいたでしょう。
しかし、養っていく家族があります。
自分の出来る事は一生懸命やってきたのだと思います。
嵐の日も雪の日も休むことはありません。
整備の仕事なので作業着をいつも真っ黒にして帰ってきます。
母が、「職場に行った時、一緒に働く〇〇さんの作業着はこんなに汚れてなかった。」と言っていたことがあります。
人の嫌がる仕事も引き受けていたのでしょう。
私たち家族にも弱いところを見せたくない。威厳を保ちたいという所から、怒鳴ったりしていたんだと思います。仕事のストレスもお酒で紛らわせていたんだと思います。
(まあ、そのことが私のいくつかのトラウマに繋がってしまうのですが、それは私の乗り越える試練だったと、今は思えます。)
ただ、母や私たちが反抗した言葉を言ったとしても、怒鳴り散らすことはあっても決して手を上げることはありませんでした。女性や弱い者には手を上げてはいけないという男気みたいなものがあったんだと思います。
愛情表現もできない人でした。
でも口にしないだけ、態度に出せないだけで「愛していた」と思います。
とても不器用な人なのです。
ただ、厳しい父のお陰で姉弟は真面目で心優しく育ちました。
貧乏でしたが、お金を貯めて遅くに建てた家もあります。住宅ローンの団体信用生命保険に加入していたので、母が安心して住める家が今でもあります。
父は生きた証を残しています。
残された家族には幸せになってほしいと願っていると思います。
良いところもあるのに、なぜか悪いところの方が印象に残りがちです。
良かったことをフォーカスして見ると、自然と感謝の気持ちでいっぱいになりました。
そして愛されていることも、心配してくれていることも伝わってきます。
・・・お父さんありがとう。